私のからだは、私のもの。
※この記事はいちど公開した後苦情があり、一部削除・編集したものです。
ここ数日、女体持ちにはしんどいニュースが多い。
- 都議会の塩村議員へ向けた、「結婚しないのか」「産めないのか」等の性差別的なヤジ。
- 明大テニスサークルの飲み会で、女子が集団昏倒し、薬物混入・強姦未遂が疑われる事件。
- 安倍総理の「女性活用」「sine!」合計特殊出生率の数値目標などなど……。
こういうニュースがあるたびに、私は自分のからだ:すなわちXX染色体と、女性器と、子宮と、乳房があるからだの持つ社会的な意味、自分のからだがどう見られているかを意識せざるを得ない。
私には、性嫌悪がある。だから、セックスも苦手だ。することもあるけど。エロい目線で私のからだを消費されることにとても敏感で、いつもいつもエロをどうやって無効化するか、ということばかり考えている(理想はエロくないふれあいです)
そして、自分の乳房がとてもとても嫌いだ。第二次性徴が起こり、自分の胸が膨らみ始めたとき、なにかとても大きなものを失った気がした。女らしい格好が苦手で、いかにメンズ服を着こなすか、みたいなことを考えている。しかし、私は「男になりたい」とは思わない。私にはFtM的な欲望はない。
私の性嫌悪・身体嫌悪は、おそらく「女体に纏わされる性的ファンタジー」嫌悪なのだと思う(あくまでも「と思う」と言うレベル。確証はない)。なかでも乳房は、女体の性的ファンタジーで非常に象徴的な身体の部位だから、どうしてもゆるせない。毎朝毎晩、胸が引っ込んで平らになってくれないかと願っている。
私が望もうと望まなかろうと、私の意志とは関係なく、私のからだは「女」と位置付けられてしまう。私のからだは、「女」以前に、私のからだなのに。ただの肉体なのに。
私は「自分のからだには、ただの肉体であるという以上に何の意味もない。エロとか関係なく、ただの肉だ。どんな部位にも本来性的な意味はない。からだはからだでしかない。私のからだの一部が膨らんでいようが、関係ない」と自分に言い聞かせることで、やっと自分のからだを受け入れることができる。そう思うことでしか、自分のからだを好きにはなれない。
なので、私はよく自分の胸を指して
「ただの肉だよ」
と言う(それは、私にとってとても大切なことで、自分のからだへのプライドを取り戻す、決意表明みたいなものだ)
そうやって、私は私のからだの性的な意味を無効化して、やっとの思いで自分のからだを受け入れようとしている。けれど、そんな私の葛藤は周りの人間にとっては、知ったことではないのだろう。周りから見ると、私は依然として「女」だし、すなわち性的な文脈に乗せられ、性的に評価・価値づけられてしまう。あるいは、私のからだは私のものだとも思ってない人がいる。
たとえば、相手はほめているつもりでも「この胸がいいんだよー」とか言われてしまうと、私のからだへの性的な意味づけを強化して、性的な意味の文脈で私の胸を「評価」をされているようで、絶望的な気持ちになる。
それは、私のからだの主体性、私のからだの肯定的な文脈を全否定するような、私にとって非常にショッキングな出来事だ。私が自分を肯定するために私のからだに付与した「性的な意味などないただの肉」という意味を否定して、周りから見たエロ文脈のなかでの「性的にとても良い」という意味を優先されるということで、私自身の肉体に対する主体性・尊厳をないがしろにされるようなことだと思う。
私は、自分の性嫌悪の感覚について、うまく、整理して話すことができない。なぜなら、「感覚」はわかりやすく、整理できるような、論理に則ったものじゃない。「感覚」に理屈はないし、コントロールできるものでもない。「感覚」は直観でしか伝わらないものだからだ。
自分の性嫌悪・身体嫌悪について、真正面から、まともに向き合って、整理しようとすると、動悸がして、息ができなくなる。
だから、わかりやすく、論理に則って、どこがいやか、相手が「納得」できるように、反論や拒否を伝えることができない。
何人かの人から、何度も嫌だと言ってあるのに私の気持ちを無視して胸を勝手に触られたり、勝手に私の胸を性的に価値づけられたりしたことがあるけれど、きちんと言っても私が本気で嫌がっていることがうまく伝わったことはほとんどなかった。ほとんどの人は、何が悪いのかもわからない様子だった。繰り返されたこともあった。
うまく説明できないということは、根本的に不利だ。うまく説明できないということは、もうそれだけで不正義にされてしまう。
根拠が明確でない、筋が通ってない、「納得」できない、わからない、そういうことがあると相手は私が何を問題としているかわからないばかりか(つまり問題が今後も改善されないばかりか)、多くの場合相手は私の感覚を受け入れることができないからだ。そうなると、まともなレスポンスは返ってこない。対話は不可能だ。
じゃあ、何を言っても「納得」しない、「わからない」人に、私の「感覚」を伝えるのは、無駄だと思われそうだ。でもそれは違う。「わかって」もらえなくても、その後問題が改善しなくても、言う意味はきちんとある。私の「感覚」を表明するのは、とても大事なことだ。
何か嫌なことがあったとき、何も言わない、不快を表明しないでコトを穏便に済ませようとすると、それは暗黙の内に状況を追認し肯定したことになってしまう。それは絶対にだめだ。私の心をないがしろにする行為だ。
たとえうまく説明できなくても、「納得」なんぞしてもらわなくても、私の「感覚」がなかったことになるわけではない。私の「感覚」を私が無視すると、私の心が死ぬ。
だから、私は私という存在をかけて「うまく言えないけど嫌だ」と言うことを、やめることができない。
何人たりとも私のからだに勝手な意味づけをすることは許さない。「勝手な意味づけ」をわかりやすく説明したりできないし、わかりやすく教えたりしない。
私のからだは私のものだ。私は、女以前に私という生き物だ。
それがわからない人には、付き合いきれない。
わかりあえないということはすごく悲しいことだと思うよ。
それでも、言うことは大切。
追記
塩村議員へセクハラ野次を飛ばしたと名乗り出た鈴木議員も、おそらく感覚的に「わかって」ないのだろうと思う。それは謝罪会見の「結婚していただきたいという気持ちから発言した」というセクハラの上塗りのような言葉からも明らかだ。わからない人とは、わかりあえないのだ。言葉を尽くしたところで、本質を理解させることなんてできない。できるのは、「それはNGだ」と不快を表明することだけだと思う。それなのに何度も「ほんとにやめて」と言っているにもかかわらず、繰り返されたらそれはもう、ほんとに絶望だよ。
アナと雪の女王―アナの氷を溶かしたのは誰か ※ネタバレあり
アナと雪の女王、私の周りですこぶる評判がいい。
私も人生ではじめて同じ映画を映画館で二回観ました。
それで、この映画を観て自分なりに考えたことをこの日記にまとめようと思います。
以下、重大なネタバレを含むので、まだ観ていない方はご注意ください。
簡単なアナと雪の女王のあらすじ
アレンデールの二人の王女、姉エルサと妹アナ。エルサは生まれつき、触れたものを凍らせる魔法の力を持っている。幼い時、エルサはその魔法の力で誤ってアナを傷つけてしまう。それ以来、エルサは親しかったアナとも距離をとり、自分の魔法の力を隠して生きる。やがて二人が成長し、エルサの戴冠式の日、エルサの魔法の力が暴走し、周囲にエルサの力が発覚してしまう。王国から逃げ出す際、エルサはアレンデールを雪と氷の王国にしてしまう。アナはエルサを救うべくエルサを追う……。
この日記では、物語のクライマックス、凍りついたアナはなぜ溶けるのか、を問題にします。
凍りついたアナを誰が救ったのか、真実の愛とは誰によるものだったのか……それを探るヒントはアナの髪の毛が白くなる(つまりアナのハートが凍る)場面にあると考えます。
アナの髪の毛が大きく白く変わる場面は、映画の中で5回あります。
- エルサの城に、エルサを説得しに来たアナ。しかし、そこでエルサは怯え・混乱してしまい、暴走した魔法でアナのハートに魔法がぶつかってしまいます。
この場面ですね。
For The First Time in Forever (Reprise) - YouTube
この場面では、一見してエルサの魔法がアナを傷つけたように見えます。
しかし、エルサの魔法がエルサの感情の暗喩だとしたらどうでしょうか。
エルサは自分に
Conceal 、 dont feel 、 don't let them know
と言い聞かせて育ってきました。この言葉は自分の感情を隠し、制御するもの以外、なにものでもありません。両親の葬式、戴冠式のパーティ、ハンスに騙されて死刑をたくらむ城の衛兵から逃げる場面など、エルサが怯え傷ついたとき、エルサは魔法の力を制御できず、エルサの周りは凍てついてしまいます。エルサの感情がそのまま、魔法に影響するのです。つまり、エルサの感情≒エルサの魔法です。
で、話が戻りますが、アナがエルサの説得に失敗した場面。
エルサはアナを激しく拒否しています。
アナはエルサの孤独を知り、やっとエルサの味方になれる。姉妹だからエルサを必ず説得できる。やっとエルサとやり直せると信じていました。
しかし、結果は失敗。エルサは怯え、アナを拒否します。それは、幼少のころ突然姉に拒否され、それ以来ずっとエルサと遊べなかったアナのトラウマを刺激するには十分です。アナはまた駄目だった、また拒否されたという絶望的な気持ちになったでしょう。
アナはエルサの拒絶的な態度に心が傷つきます。
私は、アナの冷え、アナの凍りつきはアナの心の傷だと考えました。
つまり、アナを凍らせたのは、直接的にはアナ自身の心(の傷つき)なのです。
2.マシュマロウに追い立てられた後、クリストフにエルサの説得がどうなったか聞かれたとき
このとき、アナはクリストフの質問に我に返り、あらためてエルサの説得がうまくいかなかったことを思い出します。そのあと、アナのおさげの一部が、白く変色します。
クリストフの質問→エルサの態度を思い出す→髪の毛が白くなる
クリストフにより、アナの中でエルサ城での態度が反復され、エルサに拒否されたという思いが強くなったのでしょう。そのことで、アナは自分の傷つきを発見してしまいます。傷というものは、発見されたことでより一層、痛む性質があります。だから、アナの髪の毛は白くなったのでしょう。
3.トロールの長老に「エルサの魔法でこのままではアナは死ぬ」と告げられた時。
これは、大ショックです。信じていた大好きな姉に(しかも自分は姉の味方をしようとしたのに)拒否されたばかりか、姉に殺されかけている、と告げられたのですから。このとき、アナの心に「エルサに裏切られた」という思いが湧き上がっても無理はありません。アナの髪の毛はこの場面で、ほぼ半分まで白く変色します。
4.ハンスに裏切りを告げられた時
トロールに真実の愛があれば治ると言われ、ハンスに会いに来たアナ。
アナはハンスによる真実の愛のキスを受ければ、魔法が解けると思っていました(白雪姫や眠り姫のように)
しかし、ハンスはアナにキスしませんでした。王位のためにアナに愛しているふりをして近づいた、と告げたのです。
言うまでもなく、アナはひどく傷ついたはずです。ハンスが部屋に鍵をかけて去った後、アナの髪の毛は真っ白になり、床に倒れて弱弱しく助けを呼ぶことしかできませんでした。
しかし、一人冷え切った部屋で床に倒れ伏しているアナのところへオラフが助けに来てくれます。オラフは暖炉に火を起こし、「アナのためなら溶けてもいいさ」と言います。オラフのこの言葉のあと、床に倒れているしかできなかったアナは、元気とは言えないまでもはっきりと話し、立って歩くことができるようになります。明らかに回復しています。
オラフの「自分のことよりアナを思う気持ち」(つまり真実の愛)によって、アナの傷ついた心は少し癒されたのです。だから、アナは回復しました。
とはいえ、まだまだアナの心は凍りついたままです。
5.ハンスがエルサを殺そうとしている場面
クリストフがアナのことを愛していると聞いて、クリストフとキスをすれば治ると思い、猛吹雪のなかクリストフを探すアナ。しかし、時が止まったように吹雪がぴたりとやんで(このときエルサはハンスに「アナは死んだ」と告げられ、ショックを受けていました)、クリストフを見つけると同時に、ハンスがエルサを殺そうとしていることに気づきます。
アナは以下のように葛藤したはずです。
・クリストフのもとへ行けばきっと魔法は解ける。自分は死ななくて済む。だけど、エルサを見殺しにしてしまう
・エルサを助ければ、自分はきっと凍りついて死んでしまう。だけど、エルサはハンスが剣を振り下ろそうとしていることに気付いていない。このままだと、エルサが殺されてしまう。
そして、アナは自分が助かることよりも、エルサを助けることを選びました。
さっきオラフがアナに示したような、「自分より大切な人を思う気持ち」による行動です。これは、アナによるエルサへの真実の愛です。
その結果、アナは全身が凍りついてしまいます。
身長の高い男に剣を振り下ろされ、自分が殺されるという恐怖。それはアナを決定的に傷つけたのでしょう。ここでアナが凍りつくのはタイミングの問題ではありません。自分が殺されるという恐怖、自分はもう助からないという気持ちによって、アナは凍りついたのです。
クライマックス
アナがエルサをかばって凍りついたあと、エルサはアナに縋って泣きます。このとき、エルサは十数年ぶりにアナとハグをしたのです。ずっと、避けて拒否をしてきたアナに対してです。しかも、エルサからアナに抱きつきに行っています。これは、エルサがアナを受け入れたと解釈できます。ずっと「扉を開けて」と言っていたアナの気持ちがやっと報われた瞬間です。
アナはエルサに対し真実の愛を示し、エルサはアナを受け入れました。
そのとき、アナの氷は溶け、息を吹き返すのです。
アナは、今までの「エルサに裏切られた、傷つけられた、拒否された」という傷つきを、自分自身の真実の愛の力で乗り越え、エルサを助けたのです。
アナの氷を溶かしたのは、アナによるエルサのための愛の力なのです。そして、その真実の愛は、エルサによって受け入れられたのです。アナは自分で自分の傷を乗り越え、そして大切なエルサに受け入れられて完全に元気になりました。
愛は一方通行ではダメ。受け入れられてはじめて力を発揮するのです。
つまり、アナの氷を溶かしたのはアナの真実の愛。そして、それを受け入れたエルサの行動です。
そして、アナによる真実の愛の行動を受け入れたエルサは、自分の力を肯定し、魔法を穏やかに操ることができるようになります。アナの真実の愛を示せる強さを目の当たりにして、「アナを一方的に守る必要はない」「アナはエルサが守らなくても大丈夫」と気付いたのです。エルサはアナに「エルサの感情を受け止める力」があることを知ったのです。だから、エルサは自分の魔法(感情)を過剰に恐れなくなり、魔法(感情)は暴走しなくなったのです。
まとめ
アナの氷(心の傷)を溶かしたのはアナ自身の力でした。
アナは自分自身で自分の傷を乗り越えなければならなかったのです。だから、たとえクリストフを選び、キスをしてもアナは助からなかったでしょう。それは、受け身の態度だからです。そしてこれは、今まで王子様にすべて解決してもらっていたディズニープリンセスと決定的に違うところです。
自分自身の内面の問題(心の傷)を解決するのは、自分です。それは誰かが代わりにやってくれるような、簡単なことではないのです。そして、自分の心の傷を克服するとき、「解決してくれる人」ではなく、自分の行動を支持し、受け入れてくれる人の助けが必要なのです。
愛は一方通行や依存ではなく、双方向のとき力を発揮するのです。
ということで、映画「アナと雪の女王」は、肯定し、肯定されることで力を得ることができる、というお話だったのだと私は思いました。